ひょっとこ祭りまで あと1カ月を いよいよ切った。
各部会での協議に熱が入ります。
19時に開始して、22時を過ぎても まだ協議が続きます。
参加する踊り手(通称 連)の数が、またしても記録更新。
1,800名を超す勢い。
もう、今のパレードコースでは間に合わないうれしい悲鳴です。
北は北海道から、鹿児島まで、まさに全国区になったこの祭り。
さらに 多くの方に知って楽しんでもらうため、実行委員長として
責任感が日に日に増していきます。
役員会
部会
部会
こちらは 部会が終わっての飲み会
(これも 楽しみの一つ)
先月末に 会社で東北に行ってきた。
2泊3日の社内旅行。
当初は慰安だけの目的で、場所も沖縄という線でほぼ決まりかけていた。
そこを、私の強い想いで、東北行に変更。
がれき処理のボランティアと、被災地視察を今回の旅程に加えた。
観光や夜の宴会も織り込み、自分達も楽しみながら、
同時にできるだけ間接的に現地にお金を還元できるようにも配慮した。
慰安なら慰安に徹するべきだとか、中途半端なボランティアなら止めた方がよいとか
東北はやはりまだ行きたくないなど 正直社内では今回の旅程に反対意見もあった。
それでも、最終的には私の判断で決定。
今回の東北行までに、既に2回足を運んだ上での私なりの結論だった。
30名うち参加は22名。
行った中でも、みんなが良かったと感じてくれているとは、今でも思わない。
それでも、今回の旅程に 私なりに後悔はしていない。
幸い、2、3名ほどから 「行かせてもらってよかった」 との声を直接聞くことが
できた。
行って、自分の目で被災地を見、そして現地の方々の反応を肌で感じたはずだ。
その事実をそれぞれに受けてもらっただけで、私は価値があったと思っている。
宮城県松島の観光物産館
この日は、当社の他にあと1社建設業社が訪れていた。
こういう面でも、我々建設業社が貢献できていることに
うれしく 熱くなった。
この1社とは愛知の加藤建設さん。
建設トップランナー倶楽部の仲間の会社。
打合せをしていたわけでなく、全くの偶然。
加藤さんはボランティアメインで数回に分けて(規模が大きい)東北入り
最終日に観光で立ち寄られたとのことでした。
ちなみに、当社が松島入りするちょうど1週間前に、地元キー局の
MRT放送が現地入りしたとの話を聞いた。
観光客がかなり落ち込んでいる様子などを伝えたらしい。
その際、この物産館の方がアナウンサーに
「来週、宮崎からわざわざ20数名の団体が来てくれんですよ」
と話をされたとか。
相当喜んでもらっていたようです。
たまたまMRTに知り合いと別件で話していた際に、そのことを
と伝えたところ、明日11日にラジオで そのアナウンサーからインタビューを
受けることになりました(震災4カ月という節目の番組で)。
東北に行くことを決める過程の葛藤など、正直な気持ちを気楽に話してみます。
宮崎しか聞けないですが、11日13時から13時30分の間の15分間くらいです。
6月は 毎週のように県外出張、旅行が入り、
また 祭りの実行委員会の集まりが入り
会社のことでも、いろいろと大きな案件がありで
7月初めにあった建築の試験の対応がほとんで手つかずだった。
少しずつは手は出していたのだが、やはり一夜漬けでは及第点には
届かなかったようだ。
今まで ほとんどの試験は何とかクリアしてきただけに、
今回の試験は2回続けての不合格は 対応が未熟だったとはいえ、やはりショック。
歳のせいなんだろうか?
今日は 久し振り(多分、今年初めて)に 海に入って波乗りを楽しんできた。
そういえば ここ最近、 いくつか自分として くやしい出来事が起こっている。
仕事を終え、家に帰って食卓で食事をとっていると、以前私が息子に書いた
手紙が貼ってあった。
「くやしいと思うとき。そのときが、成長できるとき」
自分が 自分の手紙で ハッとさせられるとは。