全国の新分野進出に取組んでいる建設業者の集まりが東京でありました。
建設トップフォーラム
なぜか幹事の一人に任命されており、裏方でお手伝いをしてきました。
しかし、全国には 先頭をきって頑張っている同業者がいろいろいるもんだな と
感心させられます。
いいご縁を ここでも頂きました。
さて、昨日から雨が続いています。
ちょうど、完成間近の河川の盛土工事があります。
日々十分な施工をやっていますが、盛土の片側に一般住宅があり、
養生(雨除け対策)を行いました。
日曜日にも関わらず、早朝からの緊急依頼に 社員は現場での作業にあたってくれました。
ありがたいことです。

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さきほど NHKの「龍馬伝」が放映されていた。
基本的には、この大河ドラマは 実際の歴史に脚色をある程度している(ドラマ化)している
ので、あんまり最近は見ないことにしている。
(子供の頃は、よく親と一緒にみていたが)
とはいうものの、子供が母親と一緒に毎回楽しみに観ているので、
個別の部屋を持たない私は PCに向かいながらも ちら見することになる。
本日は 尊王攘夷の行方が大きな分岐点にきた時代を紹介していた。
8月18日の政変は間違いない史実である。
武市半平太が時代の流れに乗りかけ、そしてその潮目が大きく変わってしまったことで
浮かばれなかった運命をみると、なんとも やりきれない気持ちになる。
周辺の流れに敏感になり、絶えず風見鶏的にふるまう人生と、
そうでなく自分のやるべき道を時代の流れから察し、そしてそれをとことん追求する人生。
後者の方がかっこいい生き方である。しかし、ちょっとした潮目の変化で凋落を迎える人生。
生き残りだけに視点をおくと、前者のような風見鶏人生が正解。
しかし、多分 終生風見鶏人生だと 結局は周囲の信頼も失い、終末は息途絶えることになる
のでないか?
何より、自身の気持ちが あまりに空虚感で寂しいはずだ。
時代の流れを感じ、そして 自分の歩むべき一本の道を見つけ
その成就のために 何をすべきなか。 何を選ぶべきなのか。
手段を1つに固執しない生き方が賢い生き方なのかもしれない。
その点では、龍馬は 賢い生き方をした一人だと言える。
いづれにせよ、彼の生き様に影響を受けた維新の志士達が後で活躍するわけで、
時代として無駄な人生ではなかったことだけは事実である。
誰もが 最期が100%の状態で迎えるわけではない。
要は、その生き様が 周囲に、そして時代にどれだけ影響を与えられるか。
そういう観点からすると、武市の人生は大成功だったのではないか。
今も大きなうねりを伴う変化の時代である。
鳩山さんは 潮目を どうよむで これから進むのだろうか。