年一回しか連絡を取り合わない人たちがいる。
逆を言えば、年1回は連絡を絶やすことなく関係を保っている人たちがいる。
その中で 前職の銀行員時代にご縁があった人も少なからずいる。
今年もその方々から賀状を頂いた。
ありきたりの印刷したままの賀状でなく、一言添えられている。
銀行員時代、私は3店舗を経験させてもらった。
最初は高松、そして大阪の心斎橋、最後が梅田(大阪)である。
高松では融資・外為課に所属したが、そこの部署の責任者である方とも
今でも年一回の年賀状で連絡を取り続けさせてもらっている。
この方は 決してエリートコースまっしぐらという感じでない出世欲のない上司だったが、
理論でなく経験とそこからくる勘による取引先を観る目は凄いものをもっていた人だった。
よく業務が終わると、近くの飲み屋に連れて行ってもらって御馳走になりながら、仕事のイロハを教えてもらった。
人生には巡り合わせというものがあると思う。
もし、社会人一年目にバリバリのエリート幹部が私の上司だったとしたら、今の私はなかったと断言できる。
当時思い返せば恥ずかしいことばかりで、相当甘えていた社会人だったと思うが、
大所高所から大きな視点で私を見ていていてくれたその上司。
その人が上司でなかったら、私は多分曲がった人生を歩んでいたことと思う。
大変感謝している。
心斎橋でも多くの優れた上司に巡り合えた。
中でも当時の支店長(二人)には大変可愛がってもらった。
二人とも素晴らしい支店長だったが、二人目の支店長は合併前に若くして役員になられた方だけあって厳しく
人によっては苦手とされた同僚もいたようだ。
高松から大阪の繁華街の支店に異動し当時の私はよく遊んだが、よくも寛大に見守ってもらったものだ。
同僚はみんな高学歴卒ばかりだったが、なぜか地方大学出の私に優しかった。
梅田支店。
ここは当時の銀行でその名を轟かせていた有名な営業マンがいた。
その方が私の課の責任者として着任されていた。
そして、その上司つまり支店長も部下に大変厳しいことで有名な方であった。
この二人とも年賀状のやりとりが今でも続いている。
高松支店の先述の上司とは真逆を行くお二人であったが、厳しい厳しいと言われていた割には
私はそんな印象を持っていない。
今でも当時の厳しい顔つきをしながも、優しい眼差しで「内山、お前は・・・」という声掛けをしてもらったときの
場面がセピア色の様相を呈してよみがえってくる。
当時は厳しかった方ばかりだったと思うが、なぜだろう・・・ みんな優しく ありがたいと思うのは。
そういえば、今日の日経新聞の私の履歴書がスタートしたカルロスゴーン氏の言葉に
『嫌いだった人には 「ああ、こんなに重要だった人だったのだ」と後で気付かさせることが多い。』
という一節が掲載されていた。
もしかしたら、いづの上司もそんなタイプの人だったのかもしれない。
組織のトップをあずかる立場になってからこそ、そう言えるのだろうが。
要所要所でご縁のあった上司、同僚 いずれが欠けても 今の私は無かったのだと、
賀状を手に取りながらつくづく思う次第である。